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2016.10.21
別府 文隆 氏

今回は医療領域のイノベーションコーディネーターとして活躍している別府さんにその新しい仕事についてお話を伺った。

実は、別府さんが米国留学中に弊社のヘルスビズウォッチを知り、帰国時にミーティングを持ってからのおつきあいです。
プロフィール
別府 文隆(看護師・保健師・MBA/PhD)
1972年鹿児島出身。私立ラ・サール高校バスケ部卒。東京大学理科Ⅱ類入学後、在学中は医学部バスケ部コーチや夏山登山、各種アルバイト等に明け暮れる。在学中に最も衝撃を受けた精神科の看護実習で看護師になることを決意。新卒病院就職(当時は「看護士」)。同時に夜学で映画監督養成学校(現NPO映画美学校)に入学、脚本と制作を学ぶ。
 
2004年医療と映画業界、両方の経験から「ハリウッドの人気TVドラマとコラボした疾患啓発」を行なっていた米国南カリフォルニア大学(USC)に留学。客員研究員として以下のようなプロジェクトから学びを得る。
 
米国生活にも慣れて来た3年目、現地生まれの長男の入院の際に「想像を絶する高額医療費」を経験し破産寸前にて帰国。2008年医療ビジネスで稼ぐ力をつけるべく35歳「新卒」状態にて(株)リクルート入社。同年、博士号を取得(東京大学 社会医学専攻)。医療健康介護分野の新規事業開発のプロセスや既存事業の営業支援、事業統括、事業企画、経営企画業務を経験。リクルートのもつ「人を元気にする」仕組みや文化を病院に持ち帰りたくなり、2011年広島県福山市の脳神経センター大田記念病院へ転職。医師採用・マネジメント、組織開発等の業務に従事。全国の病院事務職を元気にする勉強会「イケてる事務方ネットワーク」発起人。
 
以上の人生の旅を通じて自分が常に「人と人(情報・アイデア・場)をつなぐこと」=「出会いをひらき、ともに可能性をひらくこと」に最も興味と情熱があることに気づく。同時にデザインコンサルIDEO社の講座にてイノベーション創出の魅力に開眼。合わせてNVC(Non Violent Communication)についても学びを深め、アイデアを形にしていくスキルと人とつながり共に動くスキルについて探求中。
 
気づきに忠実に生きるため2016年4月独立。「ヘルスケア×イノベーションコーディネーター」「(医師等の)キャリアエージェント」として医療系ベンチャー企業・病院・医療専門家等とコ・クリエーションしていく働き方にシフト。性格は学生の頃から一貫して「世話焼きおばちゃん」キャラ。

1)別府さんが感じている医療ヘルスケア領域での可能性はどんなことですか?

まず、日本のこれからの確実な成長産業の1つだというのは、事実としてありますね。マーケットの成長が確実なので、参入する魅力のある領域だというのは確かです。
 
とはいえ、僕自身のキャリアでいうと、20年前の進路選択の際は、かなり感覚的な「流れ」でここにいるので、そう言った可能性を踏まえて選んだわけではありませんでした。ちゃんと就職活動して強い意志を持ってこの領域を選んだというよりも、プロフィールにも書いたのですが、学生時代に1番「衝撃を受けた」という理由で直感的に医療に飛び込んだに過ぎないのです。マーケットインな発想は皆無でした。結果として長くこの業界にいて、その時の感覚は間違っていなかったと思っています。
 
新卒で病院に入ってみて当初感じたのは「人はどんなに偉くても、どんなにお金持ちでも偉い人でも、最後はお医者さんや医療者に身を委ねる、そして平等に死んでいく」という目の前の事実と、「医療の世界の課題は、医療の内部の人だけでは解決しきれない」という感覚でした。その2つを持ちながら、その都度目の前に転がってきた出会いや様々な方々とのご縁に助けられて探求の旅を続けて、ここに至ります。キャリアデザイン的には、めちゃくちゃに見えるかもですが、その都度自分の感覚を大切に、目の前の探求ポイントに飛びついて、自分にやれることをやって、ようやくここに至った感じがあります。
 
そんな自分ですが、最近様々な団体やワークショップに参加して勉強させていただいている「イノベーションコーディネート」の文脈で最近感じていることがあります。
 
矛盾するのですが、よく言われる「現場に答えがあると思います」という答えと、「現場でないその周辺にヒントがあると思います」という答えの両方が正しいのだろう、ということを最近感じています。すでに相当頑張っている医療内部の当事者に「もっとがんばれ、がんばれ」と言っても限界があります。かといって、現場だけ見ていても解決策が出てこない構図もあります。べき論や先入観、固定観念に縛られない、その周辺や全く別の領域からヒントをもらって解決の糸口やイノベーションの可能性を見出していく視点も大切だと感じています。
 
超少子高齢化や医療費総額の増加など、人口動態の今後の変化によって医療は大きな変化を迎えざるを得ないわけですが、それをピンチではなくチャンスと捉えることができれば、企業にできることも、NPOや病院にできることも、個人にできることも、可能性はいろいろ広がると思います。
 
後述する「イケてる事務方ネットワーク」の盛り上がりなどは、まだ満たされていない医療ヘルスケア領域のオープンイノベーションの可能性を示唆してくれていると思います。

 

2)その中で別府さんがやろうとしていることは?

大きくは3つですね。
 
(1)ビジネスサイドへのイノベーションコーディネート
(2)病院向けの新規事業支援・採用支援・組織開発支援
(3)病院事務方をエンパワーする場づくり「イケてる事務方ネットワーク」の共同発起人としての企画・運営
 
順にご説明します。
 
(1)ビジネスサイドへのイノベーションコーディネート
 
医療健康介護分野に強みのあるイノベーションコーディネーターとして、医療健康介護分野に知見のない(薄い)企業さんと相性が良いので、まずは顧問として契約いただき、医療健康介護系の新規事業の事業推進をサポートしています。
日本の企業の持つリソースと人材はとても豊富で質が高いと思っています。そのパワーをヘルスケア・メディカル領域の変革や改善にできるだけ効率良く使って頂けるように、サポートしたいと思っています。
 
(2)病院向けの新規事業支援・採用支援・組織開発支援
 
自分自身がこの夏まで病院職員をやっていましたし、やはり病院の皆さんが元気になることに思い入れが強いです。新規事業のほかの得意技は、医師採用、採用後の組織開発です。
 
それ以外で新しいトピックとしてご紹介したいのは、オランダのハイスさんが開発した新規事業を一定期間で成果に結びつける「FORTHメソッド」です。これは、同じく医療ヘルスケア領域でのイノベーションプロデューサーの先輩の山本伸さんが日本に導入したもので、彼とのコラボで病院に普及させたいと思っています。
 
「FORTHメソッド」は、人材教育の観点も含まれおり、一定のメソッド「型」に従っていくので、新規事業に慣れていない上に忙しい中、多職種で集まってプロジェクトを運営していくことの多い病院業界に相性がいいと思っています。山本伸さんはFORTHメソッドの日本における第一人者です。医療系では珍しいレゴシリアスプレイの認定ファシリテーターでもあります。
 
(3)「イケてる事務方ネットワーク」の企画・運営
 
さらに、病院の現場の皆さんの中でも、特に自分が思い入れがあって、そのエンパワメントをライフミッションとしているのが病院事務方です。
3年前から仲間たちと共同発起人として「イケてる事務方ネットワーク」と称して、勝手連で手弁当で全国の病院事務方のネットワークを構築し、勉強会を主催企画運営しています。共創が起きるような場づくりとオープンイノベーションの試行錯誤を実践しています。
 
つい先日も、医療系コンサルさんや医療系事業会社の方、メディアの方などもご参加いただいた「第3回 イケてる事務方ネットワーク」を博報堂さんのご協力のもと、博報堂本社のワークショップルームで開催させていただきました。
 
企画側としては、毎回新しいチャレンジを課していて、今回は「共創」でした。これまでは病院事務方主体だったのですが、今回は純粋な病院の事務方が全国から25名、前述したビジネスなど「事務方の応援団」サイドの方々も25名(合計50名)と、拮抗した人数で、オープンイノベーション志向な場作りを目指しました。
 
前述したFORTHメソッド含めて、ご興味ある方には内容をシェアしますので、遠慮なくお問い合わせください。

 

3)今後について

これまでは先方から依頼を頂いたので、流れに任せて企業さんの支援を中心にしてきましたが、今後は、病院さんに対しても一般企業さん同様、新規事業や採用力UPのプロジェクトを通じて成果を出しつつ自分の持つノウハウや経験をシェアして、人材育成・人材開発をしていくプロセスをお手伝いしていく予定です。企業にしても病院にしても、新しいことにチャレンジする当事者を応援していきたいです。
 
特に病院スタッフの皆さんは、日々の業務で忙しいこともあるので、「外の世界の知恵と勇気を持ち込む役」になりたいと自分は思っており、「つなぐ」のが私の仕事だと思っています。新しいことに立ち向かうには「情報」(地図)とコンパス(方向性・価値観などの指針)、「武器」(方法論)、そして新しい挑戦を「勇気づけて」くれる存在が必要です。オープンイノベーションの時代には優れたツールや「武器」が増えてきました。そういった自分自身がインスパイアされる知見や方法論をどんどん吸収しながら、クライアントさんと共にそれを実践していくサイクルを回しています。
 
やりたいことはいろいろあります。臨床、アカデミア、ビジネス、経営とぐるっとヘルスケアの全セクターを経験してきて「点と点が繋がる瞬間」を多々経験するからです。昔のある時点での経験が今のとあるクライアントさんのお悩みに役に立つ、とか、あの時のあの友人に今の仕事に関連したアドバイスをもらえる、などなど。
 
人生、無駄なものは何もないのだなと感じています。もちろん、映画学校キャリアなどもあるので、それが生きる時もあれば、飛躍しすぎて趣味に走ってしまう時もあり、誇大妄想気味になるので調整チューニングは大事なのですが。近い将来、医療健康系漫画のプロデュースやハワイで子供向け事業もやる予定です。
 
今は、独立して学びたいことが無限に学べますし、仲間も増えました。毎日の日々が自由で楽しいです。独立してよかったと自分の場合、思います。自分の特性に合った働き方なんですね。
 
礼節を大事に人のご縁を大切に、いつも感謝しながら生きていきたいと思っておりますし、自分以外の他の力によって生かされていることを実感します。いいことも悪いことも全てを自分で引き受けていけるので今の仕事の仕方が好きです。謙虚になりますし。人のせいにしようもないですから。そこがいい。
 
当面は個人事業主として、より良い社会のあり方を自分の立場で模索しクライアント企業さんや病院さんたちとのコ・クリエーション(共創)を試行錯誤していくのだと思います。ワクワクしながらコツコツ進みたいと思います。

 

4)別府さんのチャレンジマインドとユニークさはどこから育まれたものですか?

自分では自分のことをあまりユニークだと思っていないのですが、、、それにその都度自分自身がワクワクする方向に進路を選択してきただけで、「チャレンジ」と自覚して進んでいることは実は少ないのです。
 
私は鹿児島育ちの父と兵庫の宝塚市育ちの母に育てられ、主に鹿児島で、たまに宝塚で育ちました。当時共働きだった親はもちろん、双方の祖父母の考え方や土地の文化は対極的で(保守と先進・忠義滅私と個人の自由・男尊女卑とフェミニズムなど)、1つのテーマで2人の祖父が全く真逆のことをしつけたりするので、子供時代は結構苦労しました。言葉もかなり違いますし。いとこたちも鹿児島弁と関西弁が飛び交うわけですから。国内でも相当に「異文化」な環境だったのです。その混乱の中で、祖父母も両親も本を大量に読む人たちでした(学者や学校の先生)。外の世界に強い興味を持ったり、異なるものをつなげることに情熱を持ったり、探究心のようなものがあるのは育った環境や親祖父母の影響が大きいと思います。
 
あまり自覚していませんでしたが、自分のチャレンジマインド的なものに鹿児島の文化や明治維新の志士たちの影響がないかといえば、多分嘘になります。現在も漫画「風雲児たち」(みなもと太郎 著)にはまっており、歴史から学ぶことの大きさを体感しております。
 
そして「自分がどうやって育まれたのか?」という問いへ結論的なことを言ってしまえば、何より大きいのは無謀なキャリアチェンジを繰り返す私を許容してくれた妻が偉いのだと思います。これは私の身近な友人たちがみな知っています。心から感謝していますし、尊敬しています。

 

5)日本のヘルスケア&メディカル事業者へ一言!

各方面で話題ですが、今の日本のヘルスケア&メディカル領域は、共創が求められているタイミングだと思います。
自分たちだけのタコツボ化したセクターから抜け出して、外の空気を吸うこと、外の世界の方々と共創することの大切さを様々な方々との出会いを通じて実感しております。
 
ヘルスケア&メディカル内部同士のつながりはもちろん、全く親和性がないように見える異なる領域の方々とのコラボレーション、コ・クリエーションをいかに生み出すかを自分は探求したいと思っております。オープンイノベーションは企業の方々にとっても、病院や行政の方にとっても、日頃とは違う手間がかかり、日頃とは違う筋肉を使うので、かつ短期的な収益を求めることが難しいこともあり、自社内での取り組みとは異なる難しさがあるかもしれません。自分はそこをお手伝いしたいと思っています。
 
その観点から、一緒に学び考え、創造していくことを志向する企業やNPO、病院や行政、教育分野の皆さんとの出会いを求めております。勉強会やワークショップを通じて、共に学んでいけたらと思います。気軽にご連絡いただければ幸いです。


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参考資料:
「スタート・イノベーション!」
ハイス・ファン・ウルフェン著  BNN新社
 
「風雲児たち」ワイド版・幕末編
みなもと太郎著  リイド社
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インタビュアー:大川耕平
 
[取材日:2016年10月17日]